本日の本会議で25年の永年勤続表彰を受けました。共に表彰を受けた13人の同僚議員は2000年初当選の同期生なのですが、一貫して自民党に所属してきた方々や民主党系の方々と、民主党から自民党に移籍した私は立場が異なります。途中で立場を変えた私が永年勤続表彰を受けるべきかどうか、最後まで迷いました。
振り返れば、全くの政治キャリアも基盤もなかった私が、ここまで議員を続けていることは稀なことです。これを機会に、これまで支えていただいた方々に感謝する機会になればと考え、表彰を受けることにしました。
ここに衆議院の議事録に掲載される私の謝辞を掲載させていただきます。
この度、院議をもって永年勤続議員表彰を賜りました。厚く御礼申し上げます。
私の政治家としての原点は、学生時代の阪神淡路大震災のボランティア経験です。社会人になる前の二カ月、被災地である神戸で、厳しい環境にありながら秩序を失わない被災者の方々、懸命に使命を果たす自衛官や行政官の方々、共に汗を流すボランティアとの出会いを通じて、国民のために働く政治家になることを決意しました。
5年間の三和総研の研究員を経て、政権交代可能な保守二大政党と理念に共鳴して、設立直後の民主党の門を叩きました。2000年当時、政治経験はゼロ、選挙の条件と言われた「地盤・看板・カバン」も皆無な中での挑戦は無謀と言われましたが、幸運に恵まれて28歳で初当選しました。伊豆半島の皆さんによって私は政治家として生み出されました。区割りの変更後、浮き沈みの激しい政治活動を続けてきた私を静岡5区から一貫して国政に送り続けてくださった地元の皆さんに、厚く御礼申し上げます。
2011年、総理補佐官として東日本大震災に向き合うことになりました。菅直人総理の指名を受け、政府の責任者として原発事故対応に当たりました。原発作業員や自衛官の命がけの作業がなければ、あの国家的危機は乗り越えることができませんでした。その後、原発事故担当相と環境相を兼務し、被災地のがれき処理や除染に取り組みました。除染土の再生利用など残された課題については、福島の復興のためにやり遂げなければなりません。
民主党で閣僚や役員を経験しながら、安全保障政策の違いから希望の党、無所属を経て自民党に入党を認めていただきました。このことで与野党を問わず多くの同僚議員の皆様に多大なるご迷惑をお掛けいたしました。ここに深くお詫び申し上げます。
私自身は、初当選から
① 安全保障は現実主義
② 内政は弱い立場の人のために
③ 地元の代表として「ことを為す」
この三つの政治理念を大切にしてきました。
②の中で、特に子供の貧困、教育格差、児童虐待などは与野党を超えて取り組むべき課題です。子供たちがどのような環境で育ったとしてもチャンスをつかむことができる、すなわち「ジャパニーズドリーム」を実現できる日本社会をつくるために、残された政治家人生で全力を尽くす決意です。最後に、25年間支えてくれた妻と家族、事務所スタッフに感謝し、謝辞といたします。
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