富岡町の避難指示解除後、早々に町内での事業再開をしたふたば株式会社の遠藤秀文・代表取締役社長。測量をはじめいくつもの技術をもつその企業は近隣地域の仕事のみならず、海外の仕事も受注している。地域に新しい文化をつくろうと、太平洋をのぞむ丘の上にワイン用のぶどう畑も作っている。目まぐるしくそこから見える景色を変化させたJR常磐線・富岡駅。歩いて数分のところに新築されたログハウス調のオフィスにその人はいた。
この対談は、2月28日に出版される『東電福島原発事故 自己調査報告』(徳間書店)に掲載予定。
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細野)遠藤社長とお会いするのはお父様のお葬式以来かもしれませんね。もう6年以上経ちましたが、本当によい場所に会社を再生されて。この建物は全部、地元の富岡の木なんですね。
遠藤)はい。100%富岡の木で、私の祖父、曾祖父が中心に100年近く前に植えた樹木を使用しています。
細野)お父さんの故遠藤勝也さんは震災当時富岡町長で、双葉郡の大親分のような方でしたよね。私も原発事故後、ずいぶん話をしまして。色々怒られたし、同時に温かく教えてもいただいた。遠藤町長もこの木を育てて間伐していたんですね。
遠藤)そうですね。小さいころに親について行って山を手入れしたってことは、よく聞かされていました。多分父が生きていたら、すごく喜んでくれたかなと思います。
細野)多分喜んでおられるでしょうね。遠藤町長とは震災の後、郡山に避難をしておられるところで初めてお会いしました。今でもよく覚えているのが、まるまる一時間くらいこちらが一言も言葉を発することができないくらい、厳しい話をされました。
しかし、そこには町民の命を背負っているという想いと責任感があまりにも強くにじみでていた。まさにトップの顔をしておられました。
遠藤町長は、双葉郡の町村長が集まる場面でも必ずリーダーシップをとっておられた。一方で、最後は政府とも協力してこの困難を乗り越えていこうという想いをお持ちで、本当に決断力のある方でもありました。
2012年が明けたころからは一緒に食事をしたりして、個人的に話をしていただけるようにもなったんです。本当に、まるで息子のようにかわいがっていただきました。その一つの理由が、もしかするとお子さんである秀文社長と私の年齢が一緒だったこともあるんじゃないかなと。
遠藤)細野さんも、私と同じ昭和46年生まれなんですか?
細野)はい。私が8月で社長が9月で。
遠藤)すごい。一ヶ月違いですね。
細野)町長は当時から、秀文さんのことを「息子が帰ってきてくれたんだ」って嬉しそうに話してくださっていました。震災の数年前にお帰りになっていましたよね。
遠藤)そうですね、震災の3年前です。
細野)遠藤社長がこの場所に会社を再建されたのは感慨深い。ところで、遠藤社長は震災後、奥様のご実家の岐阜まで一度、避難されたんですよね。
遠藤)はい。家も津波で流されましたし、子供も当時、まだ5歳と2歳でしたので。とにかく子供と妻だけは少しでも安全な場所にと思って岐阜に避難しました。
細野)それからご自身は郡山で会社を再開しつつ、事業所を相馬といわきにも置かれた。かなり早い段階からやっぱり浜通りにということだったんですね。それはお父様の思いですか。
遠藤)やはり父からですね。震災の4日後ですかね、やっと父と連絡がとれたんです。川内村に避難していた時で、そのときに唯一の通信手段だった衛星電話で父と話した第一声が「いつ会社再開するんだ。この会社は双葉郡で育ててもらったんだからいち早く再開して恩返しをしなさい」という言葉でした。その言葉を聞いて決断しなければいけないと思いました。父に背中を押された気分でした。
細野)会社を引き継がれて社長になられた時に、「先義後利」を会社の理念にされた。これは社長の言葉ですね。
遠藤)「先義後利」を使われている企業は他にもありますが、「このような思いで地域に関わっていかなければいけない」と胸にストンと落ちた言葉でした。2011年4月11日に郡山市で事業を再開し、2017年4月 に役場が町に戻り、その4ヶ月後に当社も富岡町に戻りました。
細野)遠藤社長は若い時には日本工営株式会社のコンサルタントとして世界で活躍されていますが、「まずは富岡でやる」という強い使命感を持っておられるわけですね。
遠藤)富岡は私にとって唯一の故郷でありますが、避難している人にとっても唯一の故郷です。中途半端な形ではなく、「避難している人も誇りに思えるような地域」をもう一回作り直さないといけないと思うようになりました。
細野)この会社の目の前をJR常磐線が通っていますね。私は2020年3月14日に常磐線が全線再開通したのが嬉しくて、当日の常磐線に乗って浜通りに入りました。
津波で壊滅した富岡駅の姿と原発事故を思えば、よくここまで来たと思います。一方、富岡町の場合は今も人口がまだ1割ほどしか戻っていないという現状ですよね。できるだけ皆さんに戻っていだだきたいところですが、それだけでも駄目で。新しい要素を入れて富岡町をまた元気にしていかないといけないですよね。
遠藤)「一から作り直すという視点」が必要ですよね。元に戻さなければいけない部分もありますが、震災から11年目以降は「新しいものをどのように根付かせるか」という感覚が必要だと思います。一方で、そこには富岡町単体だけでなく双葉郡の一部としての役割も意識していくこと、地域全体で成長し、情報を発信していくことも大事だと思います。
細野)双葉郡の中では、富岡が最も中心的な町だったんですよね。
遠藤)そうですね、以前は双葉郡の郡役所 があり、行政の中心的な町でした 。
細野)県内外からのアクセスも非常にいいし、商業施設や医療機関もあった。今は残念ながら休校となっていますが、スポーツの名門富岡高校もある。今後の双葉郡の方向性を、富岡の皆さんがどう考えるかは大きいと思います。たとえば双葉郡全体で協働していくためには合併という選択もあるかもしれない。そういったことを議論する機会ってあるのですか。
遠藤)まだ合併について直接的に話題になることは少ないです。いきなり合併がいいのかどうか。まずは本当の意味での広域連携を模索することが大事なのだと思います。
現状では、双葉郡のしっかりとしたグランドデザインをまだ描ききれてない部分がありますから、まずはそれぞれの強みを生かしたゾーニングなどをしっかり整理する必要があると思いますね。
例えば「隣の町が何かの施設を作れば俺の町も同様に作る」みたいなことをやっていると、非効率な上に財政的にも厳しくなっていくと思います。結果的には合併という形になるかもしれませんけが、まずは行政だけじゃなく、住民も巻き込みながら双葉郡としてのグランドデザインを作り込むことが大事だと思います。特に、今はそれぞれに想いを持った住民が沢山帰還していますので、みんなでグランドデザインを作っていくという感覚が必要になってくると思います。
細野)双葉郡って元々農業とか林業が盛んな地域で、ここ数年はワイン事業も話題になっていますね。すごくロマンがあっていいですよね。
遠藤)実は、ワイン事業はそれ単体で収益を考えているわけではありません。ぶどうの木は一回植えれば100年以上その地域に根付きます。植えてから20年、30年後くらいからよくなっていきますので、次の世代、その次の世代のための基盤作りだと考えています。100年プロジェクトという感覚がすごく大事だと思いますね。
また、我々が仲間内で話し合うときによく言うのは、「ワインはこの地域では食の主役にはなれないだろう」と。なぜなら、この地域はもともと非常に質の良い食材の宝庫で、しかも海、山、川の幸がバランス良く揃っているからです。だからワインの存在だけ主役として突出させるというよりも、そういった食材とどのように融合させるか、マリアージュさせるかといったところもすごく大事かなと思っています。その結果として、地域の付加価値が高まっていくことにも期待しています。
細野)素晴らしい。ところでお話の最初に、この建物に使われている木材も富岡町で育てられたことを伺いました。しかし浜通りの場合、木材は残念ながら放射性物質と無縁ではないですよね。私は環境大臣を務めていましたので除染には当事者として関わりましたが、正直申し上げると、私がやっていた当時は森林の汚染には目をつぶらざるを得ない状況だったんです。まずは居住空間から優先的にやる、子供達を守るっていうところからスタートしました。
10年が経過し、来年度には避難区域以外のフレコンバッグが全て中間貯蔵施設に運び込まれます。つまり、生活空間から除染の痕がなくなる。これは非常に大きな一歩なんですが、放射線量が当初に比べ大幅に自然低減したといっても、富岡町も含めた双葉郡全体で森は除染されていない。御社はドローンを利用し、森林除染のベースとなるデータを詳細に提供できると伺いました。これができれば、双葉郡の復興がまた一歩前に進むと思うのですが。
遠藤)森林除染のやり方ですね。住宅であればまんべんなく汚染されていますので、全体的に除染するのが定石でした。しかし森林の場合、全面的な除染よりも局所的な除染がより効果的であることが分かってきました。ですから、どこにホットスポットがあるかを探し、強弱をつけた除染を考えていく必要があります。10年が経過した今、除染すべき場所を「見える化」していくことが大事になってくると思います。山の地形と植生は様々で、広葉樹か針葉樹でも放射線量の高いところが変わってきます。当社では①地形、②樹種・樹形、③放射線量の 三つのレイヤーを重ねることで、より効率的な除染のあり方が生み出せるのではないかと考えています。費用的にも実現可能なレベルに落とせるんじゃないかと。
細野)是非、実現していただきたいですね。森林除染で難しいと思っていたのは、特にその面積の広さなんです。地形や植生、雨など様々な要因を分析して放射性物質が集まっているところが可視化できれば、そこを集中して除染することで相当線量が下がる可能性はありますよね。その場所の土を取るんですか。
遠藤)そのようなイメージです。面的ではなく点的な除染ですね。除染箇所を特定することで、 少ない作業量でも効果的に除染できると考えています。
細野)それならやれる可能性は充分にありますよ。外からの技術ではなく、地元の企業が先導してやろうということは、素晴らしいお話だと思います。大学と連携しておられるとの話を少し聞きましたけど、行政ともやりとりを始められましたか?
遠藤)こういった技術を紹介はしています。しかし、まだ国から森林の環境再生をどうするか、大きな方針が示されていないところもありますので、県や町に話をしても、「それは分かるんだけれど……」で止まってしまうところがあります。まずは国が方針を示すことで、福島県や市町村の捉え方も変わってくるかなと思っています。
細野)私も、国が動けるようにお話をしっかり持って帰ります。
しかし、震災から10年経つので、除染単体では国は動けない可能性も高いと思います。ですから例えば鳥獣の被害対策とか、山火事や水害を含めた災害リスク対策を事業に絡める必要があると思います。実際、森林は人の手が入らず荒れ放題だと思うんですよね。それらに何らかの解決策が見いだせるやり方が確立されれば、実現に近づくと思います。
遠藤)このまま森林が荒れ続けることによって起こる二次災害が心配です。すでに地滑りや土砂崩れで土砂がダムに流入し、貯水量が非常に下がっている実状もあります。
また、獣害も深刻化しています。鳥獣は森が荒れれば里山に降りて来ますので、住民の帰還や暮らしの大きな障害にもなっています。今は完全に悪循環に陥っていますよ。本当に、様々な問題がじわじわと増え始めています。
細野)浜通りではイノベーションコースト構想が鳴り物入りで始まりました。ただ、地元住民の方と話していると、「イノベーションコースト構想っていうのは、自分達には関係ないんですよ」っていう意見が多い。確かに現状では、地元の人たちや企業が一緒にやれるって感じがあまりないんです。そういう意味では、御社は当事者として関われる企業だと思うんですよ。
遠藤)当社は地元企業の中では比較的接点があるほうですが、実感としては10%くらいしかイノベーションコースト構想の中には関わっていないというイメージがあります。
細野)正直言って、イノベーションコースト構想自体が残念ながらまだ地に足ついていないと思うんですよ。具体的な成果や新たな産業を生み出しているかっていうと、まだそこまでいってないですから。
遠藤社長は、かつて様々な調査のために広く世界にも向かわれたと伺っております。一方でイノベーションコースト構想もまた、広く世界に目を向けた研究や開発をこの地域でやろうという構想です。
地元の方であり、同時に国際的な経験もお持ちの遠藤社長と協力を深めることは、イノベーションコースト構想にとっても大きなアドバンテージになるかと思います。是非活躍を期待したいと思います。
最後にお伺いしたいのが、中間貯蔵施設のことです。今は一つの大きな節目を迎えていまして、来年度には運び込みがほぼ終わります。一方で、安全性が確認された除染土の再利用と最終処分は大きな問題として残っている。また、中間貯蔵施設は運び込みをしてから30年以内にこれを終了するという大プロジェクトになっています。ですから、当初は跡地を今から25年後にどう使うか考えなければならないと思っていたんですね。
ただ、現地の今を見てイメージが変わりました。もう既に相当整備されているので、あれだけ広大な安定した場所ならば、色々やれることが創り出せるんじゃないかなと思ったんです。
それを国からの一方的視点だけではなく、地元の皆さんが何を望むかっていうところから具体的なプロジェクトが出てくると良いと思うんです。有効に使えれば、これまでは単なる迷惑施設という位置付けだったものを転換して、地域に価値をもたらす源にもでき得る。中間貯蔵施設が立地するのは双葉町と大熊町ですが、双葉郡全体の利益になるよう活用するということも考えられるかもしれない。
遠藤)見方を変えると違ったものが見えてくるかもしれない。確かにそうです。中間貯蔵施設にしても、イノベーションコースト構想にしても、期待が高まっている国際教育研究拠点にしても、今までは東京の学識経験者だったり、あるいは行政によってやや一方的に決められてきた印象を受けます。
これまでの10年間はやむを得なかったかもしれないですけれど、11年目以降のこれからが大事ですよね。例えば中間貯蔵施設のエリアをどうするか考えるときに、計画作りに住民をいかに巻き込み参画させるか、いわゆる「パブリックインボルブメント」という視点をしっかり入れていくということが大事かなと思います。
そのためには、参加する住民側も誰でも良いわけじゃなくて、公正に公募して、あるテーマについて一定の知識や関心、想いのある人が参加できるようにする。その上で、行政と研究機関や学識経験者とみんなで考えていけるプロセスが必要だと思います。そうした中に、住民の想いや考え、いわば「その地域の血を通わせていく」ことが重要です。そのほうが住民の関心も高まってきますし、地元の企業を巻き込んで一つの産業として活用するなどのアイデアが出てくるのではないかと思います。
細野)中間貯蔵施設に関しては現状、貯蔵施設として機能している間はもちろん、将来どうするかっていうことすらも全く白地ですからね、よいチャンスかもしれませんね。
遠藤)そうですね。
細野)仮に遠藤さんが、自由にアイデア出していいですよって言われたら、どんなものをお考えになりますか。
遠藤)この地域はどちらかと言うとネガティブなイメージが強いですよね。だから、私は「次の世代が魅力を感じる、夢を感じるような産業」をこの地域にしっかり根付かさなければならないと思っています。ここは東京から2時間ちょっとで来られて、あれだけ広大なフィールドもあるわけです。周辺にまだ住民がいない状況もあります。視点を変えれば、「騒音などの影響をある程度軽減できるフィールド」という利点にも変わります。日本の基幹産業として育てるべき宇宙航空産業のフィールドとしての活用というのはあるかなと思っています。
細野)最近はイノベーションコースト構想の一端に宇宙航空も入りましたが、それを一端から主軸に持っていき、あの場所を有効に活用しようというのは素晴らしい発想だと思います。
遠藤)航空宇宙を考えた理由の1つには、「地域の原点回帰」という面もあります。第一原発の場所は戦時中、飛行訓練場だった歴史もあるんです。
また、航空宇宙というのは遠隔技術の集大成的なものだと思うんですよね。第一原発の廃炉には最先端の遠隔技術が必要とされるでしょうから、廃炉と航空宇宙との間には技術の親和性も高いと感じています。
細野)この双葉郡の南側の地区にも、すでにロボットフィールドがいくつかありますよね。そういった技術と広大な敷地との非常に良いコラボレーションが可能だということですね。
遠藤)それらがつながって、大きな一つの幹になる可能性がある。将来性も大いにありますし、子供達もそこに関心を持つようになるかなと思います。
細野)宇宙航空産業は間違いなく将来の鍵を握る分野だし、若い人たちがすごく関心を持つテーマでもありますよね。あとは無人化の技術とかロボットとうまく融合してくるようであれば、もしかしたら地域の高齢化社会のニーズにも合ってくるかもしれない。省力化して、できるだけ無人でサービスもやっていくというような分野にも生きてくるかもしれませんね。
遠藤)そうですね。
細野)震災時に政府にいた、そして今も政治の世界にいる人間として、私は覚悟を決めています。浜通りをはじめ福島の将来のために尽力し続けることは、私自身の使命だと思っているんです。今回のお話では非常に刺激的なアイデアをいただきましたので、私自身も色々と考えさせていただききたいと思います。本当に素晴らしい場所に会社をお作りになりましたから、この地域が今後どんどん良くなるといいですね。
遠藤)そうですね、11年目以降、やっぱりこの「地域のロードマップ」をしっかり掲げて、みんながそれに向かって目標と夢と希望を持って動けるようになれば良いと思っています。10年間というのは我慢の10年でしたが、11年目以降は「将来こうなっていくんだ」っていう具体的なビジョンが見えてくるようになればいいと思います。
避難している人にも、避難先で周りの人に堂々と胸を張って話せるような故郷にしていきたいなと。もしかすると今は、「あそこから避難した」ということを周りの人に言えない人もいるかもしれませんので。そういう地域作りが大事だと思います。
細野)行政や政治は欠かせざる要素ですけれど、そのときの主役は民間の企業で、先頭を走っている皆さんかもしれない。
遠藤)住民をどのように主役にするか。住民が中心となるような体制で、この地域をどう考えていくかという視点がすごく大事だと思いますね。
細野)この雄大な太平洋を見ながら将来を展望して、ご活躍下さい。心より応援しています。
遠藤)はい。ありがとうございます。
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