第二回の三島せせらぎ音楽祭が終わりました。平日は国会日程の合間を縫って週末はどっぷりと音楽を全身で浴びることのできた5日間でした。フィナーレの余韻は今も残っています。
(↑2月12日のメインコンサート)
日本でコロナ禍が始まった2020年、音楽家の皆さんと聴衆は全ての公演の機会を失いました。「歴史を積み重ねてきたオーケストラがつぶれていくのを止めたい」と立ち上がった音楽家の皆さん、彼らが奏でる音楽をこよなく愛する人たちが集まり、時にオンラインで、時に涙ながらに真剣な議論を交わしました。
みんなで力を合わせて文化庁による補助金、金融支援、寄付の募集などの手段を尽くしましたが、人々の前で音楽を奏でたい音楽家と、聴きたいと願う人たちの気持ちが満たすことはできませんでした。
オンラインでの議論が煮詰まった時、慶應義塾大学教授という学者の肩書を持ちつつ芸術文化の伝道者となっている松井孝治氏(かつて国会議員の同僚であり、今は口うるさくも的確な示唆を与えてくれる我が盟友)は、打ちひしがれる音楽家の方々に語気を強めてこう言い放ったのです。
「こういう時こそ、音楽家はこもっていないで街頭に立って音楽を奏でるべきじゃないですか。音楽の素晴らしさを人々に伝えなきゃだめですよ」
その議論に参加していた音楽家は、東京都交響楽団ソロコンマスの矢部達哉氏、伝説のピアニスト横山幸雄氏、日本のクラシック界をけん引するマエストロ下野竜也氏、彼らの兄貴分として敬愛を受けるチェリスト山本裕康氏、トランペットの第一人者である高橋敦氏、将来日本のオケ界を背負う新進気鋭のヴァイオリニスト水谷晃氏など錚々たる顔ぶれでした。
「この顔ぶれを前に松井さんはとんでもないことを言ったな」と青くなっていたら、リーダーである矢部達哉氏は静かにこう言ったのです。
「松井先生の言う通りかもしれない。みんな協力してやってみましょう」
音楽家の中で「キング」と呼ばれる横山幸雄氏は「孤高の人」で団体行動は似合わないと感じていました。ところがその横山氏が続きます。
「待っていてもダメだと思います。会場に聴衆が集まらないなら我々が足を運べば良いんですよ」
元文化庁長官、今は東京都交響楽団理事長である近藤誠一大使(元デンマーク大使だった近藤氏を私は大使と呼ぶ習慣があります)が声を詰まらせながら会議を締めくくりました。
「音楽家の皆さんはこれまで経験したことのないつらい日々を送ってきました。松井さんから前向きな提案がありました。政治の世界にいる細野さんを中心にどうすれば実現できるかみんなで考えていきましょう」
正直、これは大変なことになったと感じていました。コロナ禍で困っているのはオーケストラだけではありません。飲食店や観光地の支援に奔走する中で私に何ができるだろうか。
会議を終えて本当に実現できるのだろうかという不安に駆られながら、元来超楽観主義の私は「地元の三島でコンサートをやるチャンスかもしれない」と考え始めていました。
私の地元・三島市は北に位置する富士山と南に位置する大観光地・伊豆半島の玄関口になっている街です。落下傘候補として三島でゼロからスタートした24年前、私はこの地の住環境の良さに驚きました。温暖な気候に合わせたかのような温厚な人々、富士山の湧水に恵まれた抜群の自然環境、海と山の幸に恵まれて何を食べても美味しい。最近になって観光地としても注目されるようになりましたが、東京から新幹線で一時間というアクセスなのに、居住地として全国区の知名度に至らないのが不思議でなりませんでした。
三島駅の近くには静岡がんセンターがあり一流の医師が数多く勤務しているのですが、その多くは単身赴任。ある医師に「なぜ家族で三島に住まないのですか?」と聞いたことがあります。その時、返ってきた言葉を今もよく覚えています。
「妻が芸術に触れる機会がない場所には住みたくないと言うんです」
三島に一流の音楽を根付かせるチャンスかもしれない。しかし当時の私は無所属の不安定な立場。次の選挙は生死をかけた戦いになります。果たしてやれるだろうか。期待と不安が交錯しましたが、窮地にある音楽家の皆さんを何とか応援したいという気持ちが勝りました。腹は決まりました。
案の定、コロナ禍が吹き荒れる中のクラシックコンサートに市長たちは関心を示しませんでした。音楽どころではないというのが率直な反応でした。そんな中で懇意にしている豊岡武士三島市長だけが「やってみましょう」と言ってくれました。
最低限の経費の支援だけは文化庁から取り付けたものの、予算の関係で二か月以内に実行しなければなりません。「山の日」の祭日である8月11日が期限。酷暑の中で野外でやるわけにいかず、教育委員会の協力を取り付けて数箇所で学校公演にすることにしました。コロナ禍で市役所に余裕はなく、実務は私の地元事務所でやるしかありませんでした。
何とか準備を整えたところでどんでん返しが待っていました。コロナ患者の数が増え学校公演が難しくなったのです。「中止」の文字が頭をよぎりましたが、この時を心待ちにして準備をしてくださっている音楽家の方々の期待を裏切るわけにはいかないと思いました。
本番は5日後。何とか県の施設の許可を取り付けて小学生親子を招待することで教育委員会の理解を得ました。ただこれだけの演奏家の方々に来ていただくのだから、もっと多くの人に聴いてもらいたい。そうだ松井さんの言う通り、外に出てコンサートをやろう。雨が降ったらどうするか?外で弾く楽器は準備できるか?不安を尽きませんが立ち止まっている暇はありません。
コロナ禍真っ只中の2020年8月11日、奇跡的なコンサートが三島で行われました。観客は100人限定。それでも観客が集まるか不安でしたが、音楽を愛する親子連れが足を運んでくれました。山本裕康さんのサンサーンスの白鳥からコンサートは静かに始まりました。目を輝かせて聴いてくれた子どもたち、涙を流して聴いていたお父さんお母さんたちの顔を私は一生忘れません。
奇跡は続きました。その日は夏には極めてまれな富士山が見える晴天となりました。場所は日本一の大つり橋であるスカイウォークの向こう岸。ひぐらしの声をBGMに奏でられた演奏に、偶然居合わせた観光客が引き付けられていきました。横山幸雄さんは蜂に刺されるアクシデントをものともせず、電子ピアノを最後まで弾いてくれました。鳴りやまぬ拍手が箱根の山にこだまする中で野外コンサートは幕を閉じました。
「こころの音楽祭」に参加してくださった音楽家の皆さん
指揮 下野達也さん
ヴァイオリン 矢部達哉さん、水谷晃さん、戸上真理さん
ピアノ 横山幸雄さん
ヴィオラ 篠崎友美さん
チェロ 山本裕康さん
トランペット 高橋敦さん
メゾソプラノ 清水華澄さん
2020年の「こころの音楽祭」が終わった後も、音楽家の皆さんとの交流は続きました。矢部達哉さんは繰り返し言ってくれました。
「演奏会の全ての機会が奪われた時に、私たちに音楽の素晴らしさを気が付かせてくれたのが三島でした。三島の湧水のせせらぎは本当に素晴らしい。音楽が三島の街中に染み渡るような音楽祭を開きましょう。私たちは何度もでも三島に行きますから」
私はこの言葉を待っていました。稲田精治委員長を筆頭に有志の実行委員会が立ち上がり、2022年1月に第一回の三島せせらぎ音楽祭、2023年2月に第二回目の音楽祭が開催されました。実行委員会は地元函南町に住む戸上眞里さんが音楽家の皆さんの気持ちを常にフィードバックしてくださることによって成り立っています。彼女の貢献なくして音楽祭の開催はありませんでした。音楽祭には新たに超一流の演奏家の皆さんが加わり、日本のオーケストラのオールスターが集まったかのような顔ぶれが揃いました。
素晴らしい顔ぶれもさることながら、三島せせらぎ音楽祭の最大の特長はアウトリーチにあります。年間を通して小学校や中学校での演奏会、吹奏楽団やジュニアオーケストラの指導が行われています。期間中には福祉作業所とのコラボでイトーヨーカドーでの無料コンサートが開催されています。吹き抜けのエントランスの二階、三階からも拍手が鳴りやまないコンサートは、松井さんが演奏家を鼓舞した「街頭で音楽を奏でる」姿そのものです。
三島に住む我々は東京のサントリーホールに集まる耳の超えた聴衆のような洗練された観客ではありません。子供もいるし、楽章の間で拍手も出れば、パンフレットが擦れる音も聞こえてきます。その聴衆がコンサートが進むにしたがって音楽家の皆さんの魂のこもった音楽に魅了され、ステージに集中していく雰囲気が伝わってきます。
2023年の音楽祭のフィナーレはチャイコフスキーの弦楽セレナーデ。マエストロ下野竜也氏によって導かれた何かが降臨してきたかのような凄みのある演奏に引き付けられ、演奏が終わると万雷の拍手とスタンディングオベーションが起こりました。それは音楽の持つ名状しがたい力を会場にいるすべての人が実感した瞬間であり、せせらぎ音楽祭が今後も続いていくことを私が確信した瞬間でもありました。
音楽祭をきっかけに注目を集めたのがソプラノ歌手の隠岐彩夏さんです。第一回目の音楽祭で彼女の声を聴いた矢部達哉氏が2022年末の東京都交響楽団の第九に大抜擢し、彼女は満員の聴衆の喝さいを浴びました。
彼女の声を矢部達哉氏は「声のストラディヴァリウス」と表現しています。私の後ろに座っていた女性の観客は、初演となった「静かな夜に」を聞いた後に「あんな綺麗な声が出るなんて信じられない」と呟いていました。隠岐彩夏さんが作詞し、横山幸雄さんが作曲した「静かな夜に」が入ったCDは、せせらぎ音楽祭のCDと呼べる素晴らしい作品です。
政治家になってから三島で災害対応、道路などのインフラ支援、街づくりやなどの補助金、様々な団体のサポートなどに努めてきました。懸命に取り組んで結果がでた時の達成感は格別ですが、このせせらぎ音楽祭を超える価値を三島に与えるものはないと私は感じています。
2023年の二回目の音楽祭の運営は多くのボランティアの皆さんに支えられ、財政的にも文化庁の補助から離れ地元の協賛企業に支えられています。徐々に私の手から音楽祭が離れていくことを感じています。私が完全に一聴衆になった時、せせらぎ音楽祭は三島に完全に定着するのだと思います。その時が一日も早く来ることを願ってやみません。
やがて私も政治家としての命を終えます。その後も素晴らしい演奏家の皆さんがせせらぎ音楽祭を世代を超えて引き継ぎ、三島の地に音楽の花を咲かし続けてくださればこんな素晴らしいことはありません。三島市民は誇りをもってそれを支え続けるでしょう。
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